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[127] お題:最近の思い出せる動揺の中で、一番小さい(と感じた)動揺は何ですか?について

投稿者: KUUKA 投稿日:2021年11月20日(土)10時01分13秒   通報   返信・引用

お題:最近の思い出せる動揺の中で、一番小さい(と感じた)動揺は何ですか?について


けいこさん、いつもお題をありがとうございます。
あまり思いつかなくても、内側を見るきっかけとなりそうでいいですね。

そして、この世界の中でこの肉体の私が、どんなに大きくても小さくても、「それが動揺だ」と気づけたなら、
レッスン5を当てはめて、自我との同一化から少し離れて、奇跡の方向へと方向転換し始めていることになるので、赦しの実践のステップを踏み始めていることになりますもんね。


私が以前気づいたのは、この世界で嬉しさとされているような「むずっ」とした動揺です。

「むずっ」とした嬉しいような、愛しいような、こそばゆい感覚のあとにニヤッと笑みが浮かんでくる感覚なのですが、
私たちはこれを喜びや嬉しさと勘違いしていますが、
よく見るならそれは単なる動揺であり、しかも苦痛と同じだということがわかってきます。

そして、形而上学を当てはめるなら、
その「むずっ」という感覚(動揺)こそが、原初のあの自我を選んだ瞬間であり、その反映を様々なバリエーションで体験しているのだいうことが分かってきます。

すると、その「むずっ」という動揺は、
毎瞬毎瞬自分自身を傷つけている決断の結果の反映であり、苦痛・苦しみと同じ動揺であり、分離の想念を信じた罪・罪悪感・恐れの結果を体験しているだけだとわかってきます。

そして、よく見るなら、
私はこの「むずっ」した感覚にずっと苦しめられていると思っているのですが、
さらに見るなら、これは自分が好んでいるということを自覚してきます。
すると、もうこれをよしとはできないとなってくるはずです。

なので、
ほんの些細は動揺も、とても大きな動揺も、
また、ポジティブな感覚や、ネガティブな感覚も、
どれも同様に、同じ一つの真の原因へと戻るためのきっかけとなり、そしてその原因も全て同じということが、実践していくと体験的にわかってきます。

すると、コースやイエスが言っているように、
動揺に、大きいも小さいもないという言葉の意味がだんだんわかってくるのですよね。

ありがとうございました。


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